イタリア・ローマ芸術の旅③/フォロ・ロマーノとカモメの声

前回に引き続き、イタリア・ローマの「芸術的な場所」を紹介していきます。
今回は、古代のローマの遺跡をそのまま見ることができる場所「フォロ・ロマーノ/Foro Romano」です
ここは紀元前7世紀頃からローマ帝国の政治や商業や宗教の中心地だったそうです。政治的な集会や宗教行事がここで行われたそうですね。この場所はずっと埋もれていたのですが、、
18世頃から発掘が始まったそうです。

ここはコロッセオのすぐ向かいにあるのですが、入るために持ち物検査を通過する必要があります。
変なものを入れていると引っかかります。私は鉛筆を削るためのナイフを入れていたのですが、引っかかりました。そんなことにならないでください。。
入口から通路が大きく2つに分かれています。
正面の中庭方面にずーーーっと行く道と、上の庭園に行く道の2つに分かれています。
上に庭園にはみかん農園??がありました。
思い出にのこっているのは
みかん農園を通り過ぎようとした時に「ボトッ!」と果物が目の前に落ちてきたんです
頭に当たらなくてよかった。。。

こちらは上から見下ろしてフォロ・ロマーノです。まさに遺跡なのですが大きな庭園という感じです。
ローマ時代には沢山の人たちがここに集って集会したり、井戸端会議したりしていたのでしょう。
古代の朽ち果てた遺跡がなんんともイイ感じです

この遺跡は中世時代にはほとんど忘れられていたそうで
、それ以降発掘が始まったそうですが。
とにかくこの建物のアーチといい迫力がありました。
古代ローマでアーチ状の建築が多い理由は、大きな建築ではアーチは重さを分散でき、広い入口も同時にできることからデザイン性に優れていたからだそうです。
ところどころ欠けている形と、普段にはみられない光の入り方が遺跡建造物の魅力です。

サンタ・マリア・アンティクァ聖堂


ここはサンタ・マリア・アンティクア教会/Santa Maria Antiqua al Foro Romano
=古代聖マリア教会と呼ばれていて、フォロ・ロマーノの中にある一番古い教会です。(キリスト教建築)五世紀半ばに建築されたそうですね。9世紀ごろに地震でこの教会は埋もれてしまったそうですが、20世紀の初めに再発見されたそうです。
見て下さい、、、壁に重厚感がありますね。
そして壁にナスカの地上絵的なレリーフが壁に描かれています。
ディテールが生きていますね。


上の写真の壁には6世紀から8世紀後半の壁画が描かれています。
注目するべきことはここに描かれた壁画は単なる美術作品ではなく、フォロ・ロマーノの文化や歴史を研究するための資料になったということですね。美術作品はその背景の文化の結晶ですから、歴史・思想=美術作品と
繋がっているわけです。
カストルとポルックス神殿


この神殿の柱の残骸みたいのは、
カストルとポルックス神殿またはディオスクーリ神殿( Aedes Castorum/ラテン語、Tempio dei Dioscuri/イタリア語)の柱の部分です。
遺跡感が半端ないです。
この神殿は紀元前495年に戦争の勝利への記念に立てられたそうです。
カストルとボルックスとはギリシャ神話にでてくる双子の名前です。この建築物は歴史の渦中で戦争などに巻き込まれながら荒廃していたったそうです。
15世紀には今見える3本の柱だけが残っていたとか、、、この柱は「コリント式円柱」と呼ばれます
1760年には柱が、、
崩壊寸前だったそうですが修復されたそうです。

違う角度からみると、、、ちがった雰囲気があってさらに味があります。
アントニヌス・ピウスと妃ファウスティナの神殿
これは、アントニヌス・ピウスと妃ファウスティナの神殿(Templum Antonini et Faustinae/ラテン語、Tempio di Antonino e Faustina/イタリア語)と呼ばれる神殿です。近くで見るとディアボロの屋敷みたいでした。RPGのボスの屋敷みたいでした。
ローマ帝国・第4代皇帝のアントニヌス・ピウス帝(在位138年~161年)が、奥さんのファウスティナ・マイヨルを偲んで、141年に建築させたそうです。しかしその後アントニヌス・ピウス帝が亡くなり、彼もそこに祀られる神殿になったそうです。
写真にみえるコリント式の円柱は高さが17メートルもあるそうです。
カモメと共存する遺跡
ここは中央広場の街道ですが
遺跡と共にカモメが沢山いるんですね。いつもカモメの鳴き声が聞こえてきてとても平和的でした。
遺跡とカモメの鳴き声が芸術的な雰囲気を醸しだいていてとても印象的でした。



セプティミウス・セウェルスの凱旋門



これはセプティミウス・セウェルスの凱旋門(Arcus Septimii Severi/ラテン語)です。
なんと大理石でできています。セプティミウス・セウェルスはローマ帝国の皇帝で、193年ー211年まで在位していました。
この凱旋門は彼とその二人の息子達(カラカラとゲタ)の第6次パルティア戦争(古代ローマとアルサケス朝パルティアとの戦争)の勝利を記念して203年に建造されたそうです。そして父のセプティミウスが亡くなった後にカラカラととゲタは共にローマ皇帝として即位したのですが、カラカラ(兄)がゲタ(弟)を暗殺しました。
そしてカラカラはゲタを記念したあらゆる彫刻を建築物や記念碑から削除したようです。この凱旋門においてもそのような部分は削除されたそうです。
なんとも、、、、
兄弟間の紛争はいつも絶えませんね。
出口方面とトラヤヌスの記念柱

そろそろフォロ・ロマーノも出口に近づいてきました。
ここで印象的だったのはトラヤヌスの記念柱( Colonna Traiana)です。
トラヤヌスは98年ー117年まで在位したローマの皇帝です。
そしてこの柱は彼のダギア戦争(現ルーマニア(ダギア)に住んでいたダギア人との戦争)での勝利を記念して113年に作られたそうです。
柱には下から上までレリーフが刻まれていました。これはダギア戦争を描いたものだそうです。
レリーフの下半分は第一回目の遠征について、上半分は第二回目の遠征についてのレリーフだそうですね。
上・下のレリーフの間には女神ヴィクトーリア(Victori/古代ローマ神話の勝利の女神)が描かれています。
とにかく歴史の重みが詰まっているフォロ・ロマーノでした。
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