絵が上手いとは何か?5次元との関連性

デッサン 上手く

こんにちは。今日は絵やデッサンが上手くなるためには?というテーマで考えていきたいと思います

「デッサンが上手くなるには、、、」なんてブログは沢山ありますよね、、、
ここではオンラインの数あるありふれたような内容を書きたくないので
もっと深く、出来るだけ興味深く書いていきたいと思います。
まず前提としてデッサンが上手くなるには、デッサンが上手いとは何か?
について深く考える価値があると思います

目次

デッサンが上手いとは何なのか超疑問

デッサンに上手い下手があるのでしょうか?
皆さんはどう思いますか???  
考えるとかなり深いテーマだと思います。
ご意見あれば是非コメントから教えてください



写実的に描けること=デッサンが上手いことなのでしょうか?
それとも、個性的なデッサン=デッサンが上手いことなのでしょうか?

おそらく多くの方は写真みたいなデッサン=デッサンが上手いと答えるでしょう。
もしくは味のある個性的なデッサン=デッサンが上手いと考える方もいるでしょう
ところでは私は、、、
「人の心を動かすことができるデッサン」が上手いデッサンだと思っています。


昔、私が美術大学の油絵学科に通っていた時、
大学時代の教授がポロっとこんなことを語っていました。
「私は青木繁の“海の幸”をみて救われた、と感じたんだ

青木繁 海の幸

青木繁/海の幸/1904年

誰かの作品をみて心の底から共感が沸きあがる
何か自分の言いたいこと、モヤモヤしたものをある作品が代弁してくれた!
自分が求めていた感覚に出会えた

という体験は皆さんもあるのではないでしょうか?
そんな時、救われたように感じるものです
教授も同じような体験を海の幸から体験されたのだと思います。


ですが私は′海の幸’を見たとき正直怖いなという感覚を覚えました。
なぜかというと原爆の絵図が思い起こされたからです。
なぜ彼らは裸なんだろう?と思いました。

とにかく絵画には人の心を動かすことのできる力が宿っているのは確かです。
ではその力は一体どこからくるのでしょうか?

“愛や好き”は“上手い”を越える

私がカナダのモントリオールのアパートにシェアハウスで住んでいた時
キッチンに凄く可愛らしくて下手くそな作品が掛かってあったんです。
「下手くそ」というと言い過ぎているように思うかもしれませんが
最初にそのように思ってしまったんです(笑)
こちらがその作品です↓

オーナーの娘さん作

こちらはアリオネルちゃんという、
アパートのオーナーの8歳ぐらいの娘さんが描いたものですが、
なんとも可愛らしいですよね(笑)
彼女は水道の蛇口の水漏れ防止のゴムを剝がしたり
ほうきの毛をむしり取ったり
と、なんとも面白い子でした。(笑)

この作品をオーナーはとても気に入っていてディスプレイの後とても満足そうでした(笑)



ですがここには遠近法や明暗のテクニックなんてものは存在していません
The・フィーリングでデッサンの基礎なんてものは見当たりません

ですが彼にとっては娘が描いたのでこの世で唯一無二の傑作品なのです。
ではAIが30秒でなんか凄くて細かい絵を描いたからといってその作品を愛らしいと思えるでしょうか?
私の知り合いは、愛犬が絵を描いたら、高価な現代アート作品より
そっちを大切にする
といっていました。


このように「どのように描写されているか」もありますが
「誰が描いたのか、何故、何時、描いたのか」という内容が
絵の価値を決めるとっても過言ではありません

こちらはKijiji(キジジ)というカナダのサイトで
オーナーが15ドルで買った作品なのですが、彼はこの作品を大変気に入っていました。
何か異国風なアフリカの原住民の音楽をテーマにしたような作品ですよね。

なんですが、、、、、、

面白いことにみんなこの作品が好きでなくて気持ち悪いとか変だ(weird)とか、
言われまくっていました(笑)
背景の赤が地獄の火炎のようだ、、とか なんで足があんなにデカいんだ!とかですね(笑)
でも彼はこの作品がとても好きなのです。

外側から内容へが絵画の醍醐味/デッサンは5次元以上?

「愚人は外側を見てよろこび賢者は内容を見て喜ぶ」
というような言葉を聞いたことがあります

改めて、上手いデッサンや絵画とはどんなものなのでしょうか?



突然ですがこの世界では低次元のものは高次元のものに付随する
という宇宙の原則があります。
例えば、1次元の点は2次元の線に含まれ、2次元の線は3次元の立体に含まれるのです。
そうして3次元空間の中での立体や遠近法はより高次元の時間軸である4次元の中の
ある瞬間の現象として内包されていきます
「写実的に描く」というのは主に3次元空間での現象を追っており3次元に属しています


しかし、それより味のある絵画、例えばセザンヌの静物ですとか佐伯祐三のパリの風景画
岸田劉生の果物なんかは、単に瞬間の現象ではなく「時間」さえも包括したような味が絵画にあります
ですから絵画がより高い次元を内包していているため人を惹きつけるのです

佐伯祐三 

佐伯祐三/レストラン/1927年


では5次元や6次元の世界とは何なのでしょうか?
私は5次元は4次元の時間軸における人間の意志と行動により生じるいくつもの結果の世界
が平行線に並んでいる世界
だと思います。
つまり、人間の意志と選択により異なる結果が生じますが、5次元から見るならば
その無限のパターンもある程度、認識でき予測できるのではないかという意味です

人間の選択で色々な未来が存在する

では「人間の思いや心」はどの次元に属しているのでしょうか?

心や思いに追従して3次元世界での体が動くのですから
心や思いはより高次元の高い次元に属しているといえるでしょう
心は面積を所有していません

つまり目に見えたり、面積や体積を所有しているものはあまり次元が高くないと言えます
従って人間の心や思い、もしくは魂というものは6次元以上の産物であると私は思います
本質というものは目に見えないのです



絵画もそうです
本当に上手い作品とは5次元以上のものを内包している作品
つまり線や形や色や構図、何気ないタッチやアクションがより高次元の心を軸にして調和している
またはそれを表現している作品が本当に凄い作品だと思います
そこにおける技術とは画家の心を表現するための単なる技術にすぎません
技術が絵画の目的になっている作品は内容がないと言えます

そして人間はだれでも同じく心をもっているので
いい作品は、頭だけではなく心でキャッチされていきます

ですから本当に上手な絵画やデッサンは
なんとも捉えようのない形があるようでないような、
色が綺麗そうでそうでないような神秘さがあります

写実的に描く技術とはなんなのか?

私は写実的に描く鍛錬の究極的な目的
外から内に入るための門を開く鍵を得るためだと思います
多くの著名な作品を残した画家達はみな写実的に描けました。

次元の低いものは次元の高いものに内包されるのですが、
それは同時に次元の高いものの一つの属性といってもいいです
ですから次元の低いものを研究することは次元の高いものを深く理解する道になります
「道」とつくものは何でもそのような高次元のものを悟るのが目的ではないでしょうか?


写実的にものを見る、写実的に描けるようになると世の中の理知に目が行くようになります
今までなんとなく物を見ていたけど
知ってみると実に世の中は良くできているな~
明暗のというのはある種の法則の中で存在しているのか~
なぜ形というのは細部から全体まで良くできているのか、、、、
など、道をあるいていても色々な発見があります



これはより高次元な問いを想起させます
つまり何故、円は円であるのか?何故このデザインにしたのか?等です
礼節でお辞儀をするとなると、お辞儀をすることにどのような心が込められているのか?
と考えさせられるようなものです

形をみて→内を見る
この過程は帰納法的(結果から原因を考える)です

私は無神論者ではなく、この世界をデザインした神がいると思います
何故なら美術を探求すればするほど、この世界が偶然できたと考えるのは理にかなっていないからです
この世界が偶然できたならば
黄金比もフィボナッチ数列も存在しませんし
万人が感じるとれる色彩の調和なんてものを存在しないでしょう
そうすると内なる精神的なものを表現するのが絵画の醍醐味だとも言えます


写実的に描く練習をすることは個性を無くし
アカデミックな型にはめてしまう、と考える人もいますが
果たしてそうでしょうか?

絵を描く「情熱」とはどこから来るのか?

なんか凄くいい作品を生み出したい
絵で自分の考えや思いを表現したい
新しい価値を生み出したい
んだけど、、、

それを描くモチベーションが出てこない!
という場合がありますよね

なので絵を描く「情熱」をどこから出してくるのかがとても重要な問題です
おそらくそのような場合は一人で描いている場合が多いと思います
一人で描いていると力が出てきません

描いた作品を見てくれて価値を認めてくれる社会や仲間が必要です
これは単に自分の成果を認めてもらいモチベーションを保つということだけでなく
根本的に絵は自己満足の産物ではないと思っているからです



先日、知り合いのアメリカ人が一枚の写真を突然おくってきてくれて
「この作品はあなたのですか?」と聞いてきました。
そこには過去展示会で壁に飾ってあった私の作品が映っていました。
知人は9年前にソウルに遊びに行ったときに偶然撮影したそうです
私はテンションがそれだけで上がりました。

利泰院 経理段道/2015年/紙に東洋画絵の具

見てくれる人がいるんだから描いていた価値はあったな、、とか
もっといい作品を描くために頑張るか、、、
と思ったんですね


結局、制作活動もある関係性の中で存在意義が見い出されます
これはいくら傑作品を描いてもそれ自体では価値を持ちえないので
自分一人で見て喜んでいてもなかなか力が出てこないのだと思います


これは「西洋モダニズムの価値観」とは正反対の観点です
モダニズムは関係性を切り離し細分化それ自体に価値を見出そうとしたからです。



マジで情熱的に絵を描きたい、人生を創作活動に捧げたい、
そこに「情熱」を見出すには
常に「他者」とのかかわりの中に身を置くべきだと思います。

アート 情熱



私は韓国にいた時、毎日熱心に作品を作っていましたが
それは常に社会の中で自分が意味ある活動をしていると感じることが出来たからです
応援してくれる人が、たったの数人であったとしても力がでます
結局、人間の「情熱」とはそこからくるのではないでしょうか?

自分を孤独な立場に置かず
部屋にこもりきらずネットワークをつくることをお勧めします
自分の制作が誰かの役に立つことができる環境を見出すことをお勧めします



絵が上手いとは何か?
が今日のテーマでだったんですが、、話がかなり膨らみましたね
ご意見等あればなんでもメッセージからお送りください
また次回お会いします。




デッサン 上手く

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◆この記事を書いた人

Gemmaのアバター Gemma 源馬久崇ーLandscape Artistー

旅をしながら絵を描いている画家です。
「芸術は人生を豊かにする」ことを信じて活動しています。
大変な時代ですが共に頑張りましょう。

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