どのように絵を学んだか?/独学+絵画教室①

こんにちは。
絵画を20年以上描いている者です。
今回は私がどのように絵を描く技術をスキルアップさせ、絵描きになっていたったのか?に言及していこうと思います。個人ごとですが、絵が上手くなりたい方へ参考になればと思います。
将来無計画な男が「油絵セット」に出会った話
私が絵を落書き程度に描きだしたのは8歳ぐらいでした。長野県のド・田舎の山奥に住んでいたので、文明とは程遠い場所でした。近くに川があったので、小学生の時は、マス(魚)を手掴みで取り、フィッシングゲームのように大きな魚を捕るのを生き甲斐にしていました。強く掴み過ぎてしまうと内臓が飛び出てグロイ結果になってしまうので気を付けなければなりません。
平凡な田舎暮らしでしたが、窓から見える景色は綺麗だったので、それを描きたいという単純な動機からスケッチを始めました。芸術を始めるとはそんなシンプルな動機で十分だと思います。ニーチェがどうだとかポスト・モダニズムがどうだとか難しい言葉を並べて評価しますが、結局は芸術が芸術足りえるのは直感の世界であると私は思います。
小学時代は友人と外で遊んでばかりで、充実していましたが。中・高時代は中世暗黒時代のように毎日を過ごしていました。若さがあっても青春時代を部活にだけ投資し、授業時間はほぼ「寝る….」という単純で無計画な、学生生活を送っていました。そして余暇時間は友人とゲームに打ち込むという、、、
若さを、パラッパラッパーでハイスコアを叩き出すか、RPGのレベルアップに売っていたのです。
そんな取り柄のない中高時代を生きていましたが高3の時に偶然祖父が買ってくれた油絵セットから油絵を描くきっかけが出来ました。
描き始めたら過去の情熱がよみがえってきたのです。面白くて家の前の丘の風景を油絵で描いてみました。その時の風景画がこちら↓

当時はこれがもてる力と技術の全てでした。これ以上は描けませんでした。
ですが、私にとっては記念すべき油絵です。
空が紫なのは理由があって、
この混沌とした世の中の風?を表しています。私の中高暗黒時代の潜在的な感情だったかもしれません。
「絵が上手くなりたいなぁ」
この風景はその後何度か油絵で描いています。美術予備校に通っていた時に描いた同じ風景画はこちら↓


この風景は小さい頃の思い出があるので描く技術がアップしてからもう一度描きたかったのです。私にとって絵とは単純に意味のある景色を「絵で切り取り作品にしたい」というの単純な動機から始まったのです。
高校の美術教室から絵を学び始める/「描く」とは体力と集中力
ところで、絵が好きな人、絵が上手い人って中学や高校で「美術部」に所属してたりしますよね?私は実は美術部に入りたかったのですがそれが出来ませんでした。
何故かというと当時、男子はバスケ部かサッカー部か野球部と決まっていたからです。つまり男=スポーツであり。それをしないと「ダサイ奴」だと思われてしまうのです。
「美術部=帰宅部」と同じ扱いを受けるのが私の高校の風潮でした(笑)
私はそれが嫌で中学はサッカー部、高校は軟式テニス部に入りました。
「ああ、、、これで帰宅部ではない。とりあえず男として生きて生きていける。(笑)」
そのような生活を中・高と6年間続け、体力はつきましたが、私は球技のセンスがなかったようです。あまり情熱がなかったからなのか??
トニカク、上手くならなかったんです。
人間好きなものは上手くなりやすいが、そうでないとなかなか上達しないのかもしれません。
日本の多くの高校生がそうであるように、「ザ・高3進路の時期」がやってきて、ようやく将来を真剣に考えるようになりました。高校3の夏、最後の部活の大会を機に引退し、冴えない人生の中でも唯一できた「絵を描く」ことを仕事にしたいと思うようになりました。そこから美術の先生にお願いして美術教室で本格的に絵を描く練習を始めたのです。
なによりも印象的だったのが、その当時の美術の先生が「ゴキブリを瓶に入れて飼っていた」ことでした。
「何故ゴキブリを飼っているんですか?」ときいてみると
「可愛いじゃぁないか、これを後でスケッチするんだ」といっていました。

その先生は東京芸術大学の油絵科を卒業されていて、高校の美術の先生というより、ザ・芸術家的な雰囲気がありました。そしてさらに印象的だったのは、髪型が特徴的だったことです。
頭の真ん中は毛がないのですが、サイドには毛がしっかりはえていたのです。これは「鉄拳」というプレーステーションゲームで「平八」というキャラクターがいるのですが、その髪型にとても似ていました。なので生徒からは「平八先生」と呼ばれていました。

「ああ、芸術家というのはこんなに変な人が集まるところなのだなぁ」と思いました。
最初は美術室に設置してあった「ラボルト」という石膏像を鉛筆で描きたり。自分の「自画像」を描いたりしました。その当時のデッサンがこちら↓

絵は好きだったので常に「全力」で描きました。この「全力さ」が今思うと絵が上手くなる最善の道だったきがします。そしてテニスをやっていたので「競争心」に溢れていました。
教室には美術部の生徒さん達が沢山いて、テニス部出身の私は「異邦人」のような存在でした。ですがそれがまた良かったのです。何故かというとテニス部の実力を美術部に見せつけようと必死で絵を描いたからです。当時の目標は「この教室で一番絵が上手くなること」でした。
なによりよかったのは、外で部活ばかりしていたので「体力があった」ことでした。毎日、朝練と午後練を繰り返し、土日は市のテニスコートで練習していましたから絵ばかりを描いている人に比べては明らかに体力があったのです。そしてクソ早いボールを見て打ち返したり、ボレーしないといけないので集中力が着きました。絵が上手くなる方法、コツは先ずは体力と集中力だということを思いました。
絵画教室にも通いはじめる
運よく、住んでいる家の近くに絵画教室がありました。そこに土曜日か日曜日に通い、美術室で描いたものを見てもらうようになったのです。
その美術教室は実は長年運営している美術教室で、ワクワクしながら訪問してみると、そこには絵を学んでいる数人の学生さんがいました。また隔週で日曜日にはクロッキー会も開かれていて社会人の方が沢山来ていました。
「本格的だなぁー」と思いました。
そしてなにより衝撃的だったのは、その絵画教室絵を運営している女性画家の先生の髪の色が「ピンクと黄色と青と緑」で構成されており、カラフルだったことです。

「ああ、芸術家というのはこんなに変な人が集まるところなのだなぁ」と思いました。
私の会った芸術家の方たちはみんな特徴的な人が多かったので「絵描き=変な人が多い」というイメージが定着しました。
競争心に溢れていた当時の私の目標はやはり「この絵画教室で一番上手くなること」でした。「競争心」というのは必ず必要だと思いますが、これは「嫉妬心」から来ている感情でもあると思います。ですが10代、20代はあってしょうがないのではないのかと思います。若さゆえの競争心、若さゆえの嫉妬心、etc…
様々な感情が入り混じりそれが絵を描く強烈な動機になっていました。
→次回⓶に続く
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