これで解る西洋画と東洋画(韓国)の違い

Kim_Gyu-jin

こんにちは。今日は東洋画と西洋画の哲学の違いについて研究していきます。
東洋画とは中国・韓国・日本の伝統的な絵画をいいます。ですが主にこの言葉は韓国で使われる言葉です。私が韓国で大学院の絵画科を卒業したのですが、時々「東洋画科」の授業をとったり、教授と話したり、アトリエに遊びに行って、東洋画科の友人と話したりしました。何故かというと、日本画は日本でも見ることができますが、朝鮮半島はより中国に近いので、東洋の哲学がより顕著にみることができるのでは?と思ったからです。今日は韓国の東洋画のアートシーンを含めて見ていこうと思います。
東洋画と西洋画の2つを比べることで、より各々の特徴が客観的に見えてきます。

目次

東洋画と日本画の違い

韓国では東洋画が西洋画(油画など)と同じくらい重要な位置を占めています。そして韓国の伝統的な価値観や哲学は東洋画により現れていると言えます。韓国では東洋画(동양화)=韓国画(한국화)といったりもします。
では日本の日本画と韓国の東洋画は何が違うのでしょうか?以下の点で異なります。

日本画
岩絵の具を使う、高い彩度の色を使う、金箔やマチエールを駆使して華やかな画面を作る
代表的な作家
東山魁夷(1908- 1999年)・平山郁夫・伊藤若冲(江戸時代)・尾形光琳(琳派・江戸時代)
長谷川等伯・円山応挙・山本光一(琳派)・歌川広重
東洋画(韓国・朝鮮)
線を重要視、墨の黒や単色を巧みに使う
代表的な作家
金弘道(김홍도1745 -1806)・鄭敾(정선1676-1759)・安堅(안견朝鮮王朝時代)・ 金
圭鎭(김규진/Kim_Gyu-jin/1868-1933)・尹斗緖(윤두서1668-1715)・金煥基 (김환기)・李禹煥 (이우환) ・서세옥、ちなみに 朝鮮時代は(1392ー1910)

広重
歌川広重
尾形光琳
尾形光琳
伊藤若冲
伊藤若冲

こちらは日本画です。鮮やかな色彩が特徴です。平面的な描写とグラデーション、金箔などの豪華な素材を通した表現が見られます。そして特徴的なのは独特の抽象的な模様です。形態の捉え方が 日本独自の捉え方(デフォルメ)で、東洋画とは違います。

朝鮮画
김홍도
朝鮮画
정선(鄭敾)
朝鮮画
김규진

こちらは韓国の東洋画です。主に朝鮮時代(Joseon Dynasty)の画家の作品です。筆の線を強調して、独自の明暗法や筆の使い方で自然や人を捉えています。自然をかなりデフォルメしながら独自の遠近法が取り入れられています。

東洋画と西洋画の陰影の付け方の違いと哲学

東洋画の特徴
筆のタッチ(肉理法)やコスリで立体感を出す/視覚的な再現より精神性を描く(伝神写照)/多視点
/文字と絵の融合(文人画))/平行遠近法・逆遠近法/凹凸法による明暗/線を強調/気韻生動(기운생동)

西洋画の特徴
科学的遠近//外面世界の徹底研究
面と明暗/影を必ずつける/文字は記録伝達の手段

●明暗法の違いについて

西洋画明暗法
西洋画の明暗法
東洋画明暗法
東洋画の線描写
Rembrandt
レンブラント自画像
윤두서
윤두서/심득경 초상

では東洋画と西洋画では描写方法において何が違うでしょうか?
西洋ではルネサンス以降、事物の見え方を徹底的に研究し、写実的な描写が発達していきました。ですが東洋画では西洋の明暗法の影響も受けましたが、現実見えるその通りを描写することに重きを置いてはいませんでした。見えるその通りを描写するというのはものの本質ではないと考えたからです。西洋画では明暗法(光と影と面)で者を見るので、陰(物の光が当たらない側)と影をセットで描きます。ですが東洋画ではそれは光による現象であって、ものの本質ではないと考えたのです。それが今日の東洋画の描写方法に受け継がれています。それより、物の本質とはボリューム(塊)からくる存在感だったり、筆のタッチで表現する流れ(質感・肉理紋法))、輪郭線、精神性を込めること、または全体の統一感(調和)と考えました。西洋陰影法によらないため、人物はより平面的に見えますが、ここに影をつけるとおかしく見えます。 影を付けるんだったら、人物にも明暗をつけないとおかしいんですね。

レンブラント肖像画
レンブラントの肖像画
朝鮮時代の髭の絵
李采の肖像(이채 초상
朝鮮時代の作品


上の作品の髭の描写方法を見て下さい、左はレンブラント(Rembrandt)の自画像で、右は朝鮮時代の東洋画이채 초상(李采 肖像)朝鮮時代の作品 です。レンブラントの髭は遠近法の中での明暗(光と影)の中で自然な存在感を出しているに対し、朝鮮の絵では空間と光の中でリアルな髭を描くのではなく、髭を一本一本に精神を込めながら描くのが目的であるのが分かります。レンブラントの髭の方がより見える通りに忠実に描いており、朝鮮の絵では略化された線で細部をみえる細部を省略し、ものの本質を捉えることに焦点がおかれています。このような東洋画の描写方法を傳神寫照/伝神写照(전신사조)や氣韻生動/気韻生動(기운생동)といいます。

채용신
高宗の御眞(ごしん)/蔡龍臣 (채용신)

伝神写照とは

肖像画を描く時に外的な形態だけでなくてその人物の人格・精神・内面を表現すること
ある部分の強調した形態を通して精神を伝えることだ
写照=写し取ること


左の作品は蔡龍臣 (채용신)が描いた朝鮮第26代王高宗の御眞(肖像画)です。彼の内面や人格も現れているような描写はまさに伝神写照と言えるでしょう。

Kim_Gyu-jin
金剛山萬物肖勝景圖(금강산 만물초승경도)/

気韻生動とは

宇宙の気運・エナジーや、自らの感情・精神・考えを体と筆に伝達させ表現すること
陰陽五行によると、宇宙は陰と陽の絶え間ない運動からエナジーが生成される。
人間は一人では存在しえない。そのエナジーを表現することだ
気韻=生き生きとして品があること

気韻生動とは主に筆の線やタッチに現れてきます。なんとなく怠惰なにも考えずに引く線または点となにか深淵な考えをしながら引く線とでは天地の差があると言えるでしょう。だからただ絵を見たままに写実的に作業的に描くより、気韻生動を絵に込めるということは東洋独自の深い精神哲学であり、学べることが沢山あります。またこれは習字の精神に通じるところがあると言えます。上の金圭鎭が描いた金剛山萬物肖勝景圖はとても大きな絵で写真はその一部です。現実に見える風景とはかけ離れた描写ですが、山の輪郭線、そして空気(雲)が渓谷を流れていくエナジーが大変リアルに表現されています。

채용신
최익현 초상/ 蔡龍臣作 /部分

●肉理紋法(육리문기법)

また東洋画には肉理紋法というものがあります。
これは筋肉の走る方法や緊張感を筆の線の方向で表現することです。左の絵を見て下さい。これは蔡龍臣 (채용신/1848-1941)という画家が描いた최익현(1833-1906) の肖像画です。かれは剛直な性格の性理學(Neo-confucianism)者だったらしく、彼の内面が顔の筋肉の線の方向(肉理紋法)にも現れています。ですがこれは西洋の描写技術の影響からきたともいわれています。おそらくミケランジェロのデッサンに見えるようなムーヴマン。

인왕제색도 (仁王霽色圖)/金弘道(김홍도)

●凹凸法(요철법)=泰西法(태서법)

これは西洋から伝わり朝鮮で独自に解釈された技法で、墨や彩色による明暗による立体感の表現です。突出したところは明るくなりく窪んでいるところは暗くする陰影法です。立体感を出すために段階的にグラデーションをつける技法もこれに該当します。上の金弘道が描いた山をみると突出している部分は明るく、凹んでいる部分は暗く描いているのがわかります。
泰西法(태서법)=中国を経て西から伝わったの意味

東洋の多視点と西洋の科学的遠近法


調和と統一感に対する哲学の違い
西洋・東洋共に画面に調和と統一感をもたらそうとしているのは共通です。そしてその手段として遠近法が使われます。ですがどのような遠近法を使うのかは西洋・東洋で異なってきます。つまり美学が違うのです。そしてこの美学は東西の各々の宗教観に起因しています。大きく次のような違いがあります。

●東洋
道教・仏教の自然主義/陰陽五行説/多様な視点を持つことが大切/多様性を認めつつ調和/万物は移り変わり相対的で絶対的なものはない/細部でなく本質や内面や全体の雰囲気が大切/

●西洋
キリスト教の神本主義・ギリシャローマの人本主義/絶対的な焦点を中心にして調和/
主題がはっきりしている/科学的に現実世界を解明/神が創造した世界の美と秩序の解明/
全体の調和よりも神の計画に従うことが重要

●東洋

朝鮮画
金剛山全図/鄭敾

東洋画では「多視点=移動視点」といって色々な方向からみたモチーフの形を画面に取り入れます。大学院の時、東洋画の学生が多視点、多視点、といっていたのを覚えています。代表的な作品に鄭敾という画家が描いた金剛山全図(금강산전도)という絵があります。この作品をみると西洋の遠近法とは全く違い、頭の中のイメージで描いたよう見えます。これは金剛山を歩き回って裏側も見て、スケッチもして、その全体像を頭の中で草案を描き、再構成して描いたものです。つまり金剛山の精神を描くにはいろいろ歩き回って色々な角度を絵に取り入れなければならないという考え方です。他にも朝鮮時代の安堅の描いた夢遊桃源圖(몽유도원도)という絵があります。このような現実とはかけ離れた描写は西洋美術史でいうなら象徴主義といえるでしょう。

안견   몽유도원도
몽유도원도(夢遊桃源圖)/安堅

このように多様な視点を画面に取り入れるというのは、道教と仏教の哲学に起因しています。これらの宗教では世の中は相対的でいつも変動しており、絶対的なものはない、道教では自然や森羅万象や宇宙の秩序と人間との調和も大切だ。道教・仏教は多様な視点からものごとを見つけることを重要視します。仏教では無常さえも受け入れることを説きます。つまり、多様性(変動)を認めつつ調和を重んじるという考が生まれます。多様性をうけいれつつ調和するとは不可能なように思えますが、彼らはその多様性を受け入れること自体が調和に繋がると考えているのです。ですが私の意見ではここの多様性とは陰陽五行説でいう陰・陽のこと陰と陽の本質は互いに調和することです。ですが善・悪のことではないと考えます。陰陽と善悪は異なる概念だからです。ここは議論の余地があるでしょう。また影を描かない東洋画の表現も道教や禅仏教に起因しています。これらの宗教では現実の細部のリアルな描写でなく、本質や内面や全体の雰囲気が大切だと考えるからです。影を描かないことで、現象でなく物事の本質や精神性に焦点を当てる表現になると考えたのです。
また東洋画では平行遠近法逆遠近法零点透視法三遠法上下法などが使われます。

冨嶽三十六景

●零点透視法

これは消失点が定まっていない遠近法です。つまりテキトーなのです。逆に言うと自由な遠近法といえます。ではどのように遠近感を出すかというと、手前の物は大きく描き、奥の物は小さく描くのです。

冨嶽三十六景

●平行遠近法

これは一点透視法や二点透視法だと平行線であっても遠近感がついて歪むのですが、完全に平行に描く遠近法です。浮世絵に時々見られます。


●西洋

一点透視法

西洋ではギリシャ・ローマの人本主義の考え方から自然界を科学的・数学的に解明することが進みました。そしてキリスト教の影響からも神が作ったこの現実世界の美や神聖さを研究し描くために遠近法や解剖学、明暗法の解明が進みました。これは歴史の流れとして必然であったと言えるでしょう。遠近法=神の視点とも言われています。つまり絶対的な一つの焦点(一点透視法)が存在したり、神の創造した法則(遠近法)の中で全てが調和して存在しているという考え方です。人本主義と神本主義は相容れませんが、皮肉なことに、科学を解明していったら絶対的な法則を発見してしまった訳です。

ちなみに英語で一点透視法は(single point perspective)、二点透視は(Two Point Perspective)、三点透視法は(Three Point Perspective)といいます。

三点透視法
科学的遠近法
ジョット

また西洋画では主題が明確です。神やキリスト、聖書の登場人物画が中心であれ、人間が中心であれ、その主役やテーマを中心に調和した絵が描かれています。東洋画のように視点がいくつも点在しているのではありません。道教の教えのように「自然」を中心にすると自然には強力な中心が存在しないので、それぞれが独自に存在するようになります。
道教・仏教では善悪の概念が曖昧なのに対して、キリスト教では善悪の概念がはっきりしていて、その対立がメインテーマになるため主題がはっきりしていると言えるでしょう。そして全体との調和よりも神の意志に従うことが重要視されます。

Birch Tree in a Storm(1849)/Johan Christian Dahl

西洋画ではノルウェーの画家Johan Christian Dahlが描いた木の絵ですが、自然画を描いても主役がはっきりしている場合が多い。西洋人が言いたいことをはっきり言い、東洋人は周りの目や雰囲気を気にしながら物を言うのもうなずけますね。

読むための絵画としての東洋画

朝鮮の文人画
姜世晃
朝鮮の文人画
姜世晃

東洋画は昔から文字と共存していました。とくに文人画では絵は「読むためのもの」として存在してました。つまり、、、本を開いたらその折り目の部分にも絵がまたがって描かれていたり、絵が物語の内容を伝えるための手段として存在していたのですね。文人画では絵を文章に置き換えるように解釈し「読む」ようになります。ちなみに文人画は英語でliterati paintingです。
朝鮮の文人画画家としては姜世晃(강세황1713ー1791)/李麟祥(이인상1710-1760)が有名です
→文字と東洋画と習字の関係性はこちらの記事から

東洋画と西洋画とこれからの絵画

西洋画と東洋画それぞれが長所と短所がありますよね。西洋ではルネサンス以降より現実に忠実で写実的な絵画、そして絵で表現するべき主題やコンセプト(理念)について何度も革命がおこり、改革され検証されてきました。しかし、そのような眼に見える外観や、理念の善・悪の判断にだけ焦点を当てていると本質を見失い場合もあります。逆に東洋では目に見えるその通りの現実ではなく内面や精神性を重要視してきましたが、現実的な写実性に欠け、また調和を重要視するあまり、進むべき方向性が曖昧でどこかフワフワした感じになり、堅固さとビジョンに欠ける絵が出来上がります。東洋画と西洋画はそれぞれ学び合うべき面を持って言えるといえます。時代は東西が簡単に交流できる時代になりましたので、これからはこの別々に分かれて発展してきた美術史が交流しながら新しい絵画が生まれる時代になると言えるでしょう。

それぞれの長所と短所は?

道教/仏教
長所
陰陽の相対性と動きと調和に重点/多様性や変化に富んだ画面
柔軟で包括的な世界観/ 内面や調和を重視した深遠な表現
短所
絶対的な基準が曖昧/善悪の基準が不明確/言いたいことや方向性が不明確

キリスト教
長所
言いたいことが明確/写実的でリアル/絵に求心力がある
神の存在からくる存在価値の肯定/明確な善悪の基準と方向性がある
短所
画面に柔軟な視点がない/絶対的な遠近法が絵を硬くする/全体の調和よりも主役の主張がメイン



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◆この記事を書いた人

Gemmaのアバター Gemma 源馬久崇ーLandscape Artistー

旅をしながら絵を描いている画家です。
「芸術は人生を豊かにする」ことを信じて活動しています。
大変な時代ですが共に頑張りましょう。

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