フォーヴィスムの色彩哲学は点描主義から/美術史の本質⓸

ドランの絵画

こんにちは。ある美術運動の意味というのはそれだけ見ても見えてきません。ですが前後の歴史を見ると本質が見えてくるんですね。今日はフォーヴィスム(Fauvism/ 1905ー1910年頃)が美術史に何をもたらしたのかを考察していきたいと思います。美術史は人間の本姓をどのように見い出して表現できるかという解放の歴史です。特に西洋ではその度に革命が起きますよね、、、。

フォービスムで有名な画家は
アンドレ・ドラン(Andre Derain/1880- 1954)
アンリ・マティス(
Henri Matisse/ 1869ー1954)
ジョルジュ・ルオー
モーリス・ド・ブラマンク(1876ー1958)
ラウル・ドュフィ

です。
ここでは先の投稿でふれた点描主義と科学とフォービズムの関係性、そしてポスター芸術/後期印象派/点描主義/ナビ派/がフォービスムの誕生にどんな影響を与えたのか?をみていきます。

目次

点描主義がフォービスムへ与えた影響/色彩の解放

結論からいうと、フォービズムとは現実には即さない色を、ある「哲学・理由」で使うことが出来るように追及した運動であると考えます。では前後の時代の流れをみて行きます。フォービズム(Fauvism)は前の点描主義の影響を受けています。こちらのマティスの絵(下右)を見て下さい。もろに点描主義の影響を受けていますね。

マティス

点描主義では、白い光をプリズムを通してみると、、、鮮やかな虹色の原色に分解されるように、それを絵の具の色の点の集合として分解して描きました。本来一つだった色を2から3の原色の集合体として捉え、それを絵の具の色の点として分解・解放したのです。(例えば紫は赤と青の集合体)。ですがフォービズムはそれら分解された色を強調し、点ではなく面や色々な抽象的な形としても表現しました。

このように古典絵画においては混ざり合って自然色に近かった色は、分解されることにより原色近くなり、色というもの自体が独立した要素として登場してくるのです。画家が色彩を自由に使う(解放する)にはまずは「分解」しないといけません。そして次に独立した要素としての色がフォービズムの画家の内面と結びつきます。自然の色と結びいていては内面の色と結びつきづらいのです。なのでフォービスムというのは心に思いた思い描いた(内面の)色を自由に使おうとしたという意味でとても重要な ムーブメントです。

色の歴史
科学と美術


以前は色というのはとても自然・現実(写実主義)と結びついていたんです。現実の自然色というのは色彩学者のいうハーモニー色といいます。そしてこのような自然に即した色を使うのが絵画では当たり前でした。特にルネサンス以降は科学の発達から遠近法を完璧に再現しようとし絵画の写実性が追及されました。現実に目をむけて科学的に光学的に現実を分析するならば写実的にならざるを得ません。

ルネサンス・写実主義・印象派・ 後期印象派・点描主義(新印象派)の時代までは、色を変化させ、解放させようとしていたけども、ある程度現実の色の秩序の束縛を逃れることは出来ませんでした。つまりルネサンス→写実主義→点描主義までは科学の時代だったのです。科学とは現実の現象を研究する分野だからです。ですが、 フォービズムの時代においては人間の心を内面にフォーカス当て、色とむずびつけるようになったので完全に現実の色からの解放と独立が始まっていきます。

フォービズムはルネサンス以前の絵画の純粋性に立ち返る

思い返すと、「ルネサンス以前」というのは絵画はより写実的ではありませんでした。初期キリスト教美術やローマ美術では「色面」が画面に現れたり、ラスコーのイラストっぽい壁画ではとても平面的に描かれています。

ラスコー
ラスコー壁画
ローマ美術の平面性
初期キリスト教美術

ルネサンス以前のこれらの絵画は部分的に平面的な描写が目立ちます。ルネサンス以降のように遠近法の目をきにすることはなかったんです。

フォーヴィスムの運動の本質」はルネサンス以降の遠近法に忠実な写実的な絵画の流れから、より絵画でしかできない色彩性(平面性)を追求したことです。ルネサンス以前は写実的にも描けなかったというのもありますが、フォービズム以降の時代では写実的にも描けるけど、純粋な絵画の特徴を再び画面に取り入れようとしたんです。つまりルネサンス以前のオリジナルな絵画性というものに立ち返るような動きです。これがモダニズム、つまり絵画が絵画でしかできないことをやろうという運動です。

今までは遠近法(科学/写実主義)の発達の中において絵画の平面性(内面性)という本質というものを見失っていたということです。つまりこれはある意味ラスコー洞窟に見る絵画の精神に戻る運動なのです。

ポスター芸術の平面性と産業革命

ところでフォーヴィスムは後期印象派・点描主義・ナビ派そしてポスター芸術の影響を受けています。つまり時代的に起こるべくして起こった運動だとも言えるでしょう。ここではポスター芸術との関係性を考察していきます。ポスターは芸術は何故盛んになったのでしょうか??

⓵産業革命からくるリトグラフ(石版画)の発明(1798
当時のリトグラフでは、印刷に使える色はほんの少しでした。鮮やかな色の顔料を使用することはコストがかかりすぎ大量生産できません。そして技術的にも難しかったのです。、だからモノクロまたは少数の色で印刷されていたんです。

19世紀初期のリトグラフ(出典Wikipedia)

⓶初期のポスター
1830年代から1840年代にかけてリトグラフ(石版画)技術はグレードアップしてカラーリトグラフ(1837)が登場します。色々な色で印刷が可能になります。彩度も高く長持ちする顔料が安く手に入るようになったんです。そして大量印刷が可能になり、ポスターが広告媒として使用され始めたのです。
そして企業やプロモーション主催者が広告としてポスターを活用するようになります。パリやロンドンでは劇場、展示会、旅行、商品販売用にポスターが貼りまくられます。都市の人口も増え始めていたので、ポスターはプロモーションとして利用価値が上がっていったのです。娯楽産業(劇場・コンサートホール)をウハウハでした。今でこそAIの普及により芸術文化が広まっているように、当時のパリでもこのように芸術文化が広まっていき、ポスターはその宣伝の役割をしたのです。

パリのポスター
1840
パリのポスター
1840
パリのポスター
1869年

➂ポスターが芸術レベルへ
19世紀後半ー20世紀頭になると、化学技術が発展して合成染料や顔料が開発されます。
この時期はアールヌーヴォー(19世紀末~20世紀初頭)の時代と重なります。ロートレックアルフォンス・ミュシャジュール・シェレ(Jules Chéret /1836- 1932)は、ポスターを芸術作品のレベルまで高めました。ミュシャなどの芸術家は、リトグラフを駆使して鮮やかで装飾的なポスターを制作しました。植物の曲線や女性などが絵画的な明暗技法で描かれています。またシェレは、「モダンポスターの父」と呼ばれていて原色を巧みに使い、水彩画のように洗練されたイメージを作り上げています。これにより、ポスターは「広告」から「装飾的な芸術」のレベルに上がっていったんです。

Lautrec
1893
ミュシャ/Mucha
1896
シェレ
1895年

ポスター芸術とフォーヴィスムの関係性

フォービスムとポスター芸術の関わりは直接的ではないですが、ォーヴィスム(1905ー1910)の画家が都市のポスターの色彩や構成(広告文化)から何かのインスピレーションを受けていたと言えます。逆にォーヴィスム色彩感覚や構図が後のポスター芸術に影響を与えた可能性は否めません。そしてフォービズムの視覚言語は後のモダンデザインや商業アートにも影響を与えました。ではフォービズムとポスター芸術の類似点を見てみましょう。

シンプルな形態
ポスター芸術商業的目的で視覚的に分かりやすいデザインが求められ、形態が簡略化。これはフォービズムの簡略化された形態と共通。
フォービズム:形態を単純化し、直感的で大胆な輪郭線を用いました。装飾性よりも感情や構図の力強さを重視

Lautrec
| l’artisan moderne
1894
Apples on a Table, Green Background
Henri Matisse
1916

シンプルで単純な形・大胆な輪郭線/平面的な形は何を表現したか?
→感情・直感・構図の力強さ・視覚的な分かりやすさ

⓶平面的で強烈な色彩
ポスター芸術伝わりやすく印象に残りやすい色彩(写実性が重要ではない)
フォービズム鮮やかで純粋な色彩を用いて、感情や直感を重視

Palais de glace
Champs Elysées
Paris 1893
Effect of Sun on the Water, London
Andre Derain
1906

強烈な平面的な色彩は何を表現したか?
→感情・直感・伝わりやすさ

抽象絵画の始まり

「抽象絵画」なんてものは昔は存在していませんでした。この分野を切り開いたのが、フォービズムと次に続くキュビスムです。抽象絵画は画家の観念的・内面的なイメージの産物です。このイメージは現実的・科学的な目に見える世界とはかけ離れています。ではフォービズムがどのように抽象絵画を切り開いたんでしょうか?

アンドレ・ドランの絵画

ドランの左の山の絵を見てください。山の明度や色は完全に現実にはありえないバルールと色彩です。また右の港の絵でも、彼は建物のバルールを直観的・感情的に変化させ、背景の緑の木の形を大胆にデフォルメしてます。このようなデフォルメは抽象画の始まりです。かれはこの形態の変形により感情や直感や構図の力強さを優先したんです。また緑の木の横にはピンクの背景が広がってますよね。これがまさに抽象絵画の始まりです。外界をそのまま模倣するのでなく、彼らの直観・感情・観念を優先して描いていますから。

抽象絵画の発生過程

1908年~1910年:フォービズムの終わりとキュビスム(Cubismの台頭
キュビスムの台頭により、フォービズムは徐々に消滅していきます。
同時期に始まったキュビスムからは形態の抽象画の始まりが見えます。フォービズムは色を抽象化し、キュビスは形の抽象化を推し進めました。そしてその後モンドリアン(Piet Mondrian/1872ー1944)などの抽象画家が登場してきます。

→後期印象派・ナビ派がフォービズムに与えた影響はこちらの記事から



写真

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◆この記事を書いた人

Gemmaのアバター Gemma 源馬久崇ーLandscape Artistー

旅をしながら絵を描いている画家です。
「芸術は人生を豊かにする」ことを信じて活動しています。
大変な時代ですが共に頑張りましょう。

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