絵画は写実主義とそれ以降で変わる /美術史の本質を解明する⓵

クールベ The Source of the Loue or La Grotte Sarrazine

こんにちは。この「美術史の本質を解明する」シリーズでは単なる知識ではなく、絵を描く上で、美術史のある作品や思想が自分とどう結びつくのかを解明していくシリーズです。

目次

何故美術史を知る必要があるのか?

皆さんは美術史は好きでしょうか??私はというと、、、、大学の美術史の授業はいつも寝ていました。つまらなかったからです。というか、、、美術史が自分とどう関係があるのか分からなかったんですね。では何のために美術史を学ぶのでしょうか?

ここでアートキュレイターや美術評論家という職業の人たちは美術史を詳しく学びます。何故かというと、ある作家の作品を評論する時、ある時代の哲学や思想と結び付けて評論する必要があるからです。私が以前、韓国で個展をしたときに、キュレイターさんが私の作品を美術史と結び付けて評論分を書いてくれました。そのときに自分でも認識してなかった角度から私の作品を説明してくれたので、、、あらためて自分の作品にはこういう意味があるのか、、、、!と驚いたのを覚えています。絵を描く人はただ好きで描いている人が大半ですからね(笑)

絵描きにとって美術史を知る目的とはなんでしょうか?それは、知識や教養をつけるのが最終的な目的ではなくて、何故あの画家はあのようなスタイルで絵を描くようになったかを知り、自分はどのような思想を基盤にして作品を作るべきかを再認識するためだと思います。また何故自分はそのような作風で作品をつくるのかということを客観的に言葉で説明できるようになるためです。簡単にいうと何故その牛丼を作るようになったかを説明するためです。

ある時代の画家の作風をみるとその時代の思想・哲学・宗教的価値観・科学と結びついています。お互い何かしら影響しあっていているので、芸術作品とはまさにその文化の産物だともいえます。

今回はそんな中で、写実主義とそれ以前の絵画の変化について考えていきます。

⓵写実主義以後の主題の変化

写実主義とは19世紀のフランスで起こりました。それ以前のロマン主義に反対する形で生まれた運動です。代表的な画家はギュスターヴ・クールベ(1819ー1977)と、ジャン・フランソワ・ミレー(1814ー1875)(バルビゾン派)です。写実主義以前と以後で絵画のスタイルが大きく変わった理由が3つあります。

●一つ目は絵画の主題の変化です

それ以前の絵画は聖書の内容やギリシャ神話、ある歴史的出来事が主題でした。ですが写実主義の時代からは現実的な庶民的な日常ありふれた自然をも題材にするようになりました。これは大きな転換点です。

クールベ The Source of the Loue or La Grotte Sarrazine
クールベ/The Source of the loue or la Grotte Sarrazine/ oil on canvas
クールベ
ミレー 画家
ミレー/晩鐘
ミレー
ミレー

上の作品たちはクールベとミレーの作品ですが、庶民の日常を描いているのがわかります。写実主義以前はそれは殆ど描かれなかったのです。つまりこれは人間の価値の再発見庶民の権限の向上にもつながります。西洋ではこのように絵画の革命の歴史が度々続いていきます。

⓶写実主義と写真の発明

●二つ目は同じ時期に「写真」が発達しディテール描写が発達したことです。

フランスの画家であり写真家のダゲール(1878ー1851)は1839年に銀板写真法を開発しました。銀板写真法は19世紀半中期から世界中で普及していくことになります。
当時の写真というものはコントラストが劇的に出るのです。つまり明るい方は良く描写され、影の方はつぶれて暗く見えなくなります。これはクールベの作品にも表れています。ちなみに印象派の作品はむしろコントラストが弱く(パステルトーン)なります。
また知り合いの写真家の方が仰っていたのですが、、「写真というにはその場に直接体を赴かせいと撮影できない、つまり現実や身体と直接むずびついている」と。この表現技法は写実主義の精神と似ていると言えるでしょう。つまり、その場で起こっているリアルな庶民の日常にも価値があるという話です。作品の精神というのは科学技術から影響もうけているのです。

Gustave Le Gray( 1820- 1884/フランス)やEugene Adalbert Cuvelier(1837-1900/フランス)という写真家の写真をみるとクールベ(写実主義)との類似点を見受けられます。↓

写実主義
Gustave Le Gray
写実主義
写実主義
Gustave Le Gray

上の写真を見ると、クールベの絵画のディテールの部分と、写真のディテールの描写の仕方が似ているのがわかります。彼らが写真を参考に描いていたのか、それとも、写真のディテール描写に影響を受けたのかは分かりませんが、同時代の産物であることには変わりないと思います。また人間の眼とは違い、写真はある一瞬を捉えるので、その時の絞りの数値をひとつに設定しないといけません。明るい部分に合わせれば暗い部分の描写を犠牲にしないといけません。そのような理由から暗い部分がマットに描写されているだと思います。人間の眼はその度、明るい部分をみたり、暗い部分をみたりして、絞りを変えることができるので、両方描写をすることが可能です。

⓷写実主義と産業革命


●三つ目にイギリスの産業革命(物質革命)(1760ー1830)です。
この産業革命を機会に絵画は教会・貴族の特権物から庶民が家に飾り楽しむ商品ともなっていきます。
産業革命は物の大量生産を可能にしましたが、同時に現在のアートマーケットのモデルを作り上げました。現代では私たちも絵を買ったり飾ったりできますよね。このモデルはこの時代の産物です。
新聞には展覧会のお知らせというものが載るようになったのです。

言い換えると、庶民の間にエンタメが広がりました。つまり、絵画を楽しむ、蓄音機で音楽を聴く、映画をみたり、ラジオを聴くなどです。

鉄の生成
William Bell Scott/ Iron and Coal
産業革命

庶民の間に絵画が広がるということは、主題が庶民となじみのあるものである必要がでてきます。また庶民の家の空間とマッチする大きさである必要も出てきます。庶民の生活の内容というといろいろあると思いますが、絵画・芸術の発展過程において産業革命が必然的な革命であったことには間違いありません。

写実主義とそれ以前を知る意義

私たちが現在当たり前だ、、、と思っているものは過去には当たり前ではなかったということがほとんどです。それは絵画とはなんなのか?絵画は何を描くものなのか?私がどんな絵画を好きなのか?という問に対しても同じです。

もし、あなたが写真のようにディテールを描写している作品を好きであれば、それは写実主義以降の絵画や写真を沢山見て来たことに影響していると言えます。また、あなたが庶民の生活に密着した主題をテーマにした作品を好きであれば、写実主義以降の大衆文化の影響を受けているといえます。また、あなたが絵画を家に飾り、食堂に飾り、のほほんと眺めることができるモノを絵画と思うのであればであれば、それは写実主義以降の絵画の存在意義について共感していることになります。写実主義が発展したのはその時代の人々の時代精神がそれを求めていたからです。その時代人々が指向した「自由」のようなものですね。

このように客観的に自分が好きなスタイルの絵画の歴史を分析することは、その背後の精神への理解につながります。



写真

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◆この記事を書いた人

Gemmaのアバター Gemma 源馬久崇ーLandscape Artistー

旅をしながら絵を描いている画家です。
「芸術は人生を豊かにする」ことを信じて活動しています。
大変な時代ですが共に頑張りましょう。

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コメント一覧 (1件)

  • […] ご存じの通り印象派は1870ー1880年代にフランスで盛んになった運動です。先の写実主義の次のムーヴメントです。→写実主義に関してはこちらからエドゥアール・マネ(1832ー1883)クロード・モネ(1840ー1926)ルノアール(1841ー1919)カミーユ・ピサロ(1830ー1903)エドガー・ドガ(1834ー1917)が有名ですね。印象派とはよく瞬間の光をとらえようとした画家たちだと良く説明されますが、それだけだと表面的で深みがありません。このブログではもっと美術史の本質を捉えていきます。 […]

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