こんにちは美術史の本質シリーズ⑤になります。私たちが何気にしている石膏デッサンの文化はどこから来たのでしょうか?日本は東洋の最果て(日のいづる国)ですから、そんなギリシャローマの彫刻のデッサンをするとはおかしな話です(笑)これを改めて認識することは大切なことだと思います。自分の絵を客観視するためにです。ちなみに石膏デッサンは英語でPlaster(石膏)cast(鋳造された)drawingといいます。
なぜ石膏デッサンは始まったのか?
日本の美術学校や美大入試、美術専門学校で石膏像を描くのは明治時代から始まりました
その時に鎖国を終わらせて西洋ヨーロッパ(フランス・イタリア・ドイツ)の文化を明治政府が積極的に取り入れたわけです(美術分野では特に美術と建築)。当時のヨーロッパでは石膏デッサンはメジャーで美大入試だけでなく美術を志す人達は石膏デッサンをしていました。特にイタリアではギリシャローマの伝統が色濃く残ってるので石膏デッサンは主流だったわけです。
その当時、西洋の芸術家が来日して、またはヨーロッパで学んだ日本の芸術家が、石膏デッサンを工部美術学校や東京美術学校で教え始めました。
●工部美術学校+東京美術学校→現東京芸術大学
日本で最初の美術学校は明治政府が作った工部美術学校(画学科・彫刻科/1876ー1883)です。そして次に6年後に明治政府が作った東京美術学校(1889年設立・絵画・・彫刻・工芸・の純粋美術と広範な分野)があります。してその後この2つの学校が合併されていまの東京芸術大学(東京/上野)ができました。
西洋美術教育を日本に導入した芸術家たち
当時この工部美術学校や東京美術学校で教えていた芸術家たちが石膏デッサンなどの美術教育を取り入れたんですが、具体的にどんな人たちがいたのか見て行きましょう。
●黒田清輝(1866ー1924)
フランスに留学してフランス人のラファエル・コラン(画家/Raphaël Collin1850ー1916)に学びその経験を日本に持ち帰りました。かれは東京美術学校の西洋画の教授もしました。(石膏デッサンも教える)
こちらがラファエル・コラン(Raphaël Collin)の作品です。
●岡倉天心(1863ー1913)
彼はヨーロッパで美術を学んだわけではありませんが、東京帝国大学(現東京大学)で美術史を学び後に東京美術学校の設立にかかわりました(初代校長)。
●安井曾太郎(1888- 1955)
フランスで絵画を学び、帰国後、京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)で絵画を指導。彼は私が美大入試をしてたころ、「人体デッサンの神」と呼ばれていました(笑)。私も彼の人体木炭デッサンを模写したことがあります。
●アーネスト・フェノロサ(アメリカ人/Ernest Francisco Fenollosa/1853ー1908)
美術史家であり哲学家として、彼は東京帝国大学(東大)で教授として日本の仏教画とか伝統美術を尊重しつつ、西洋美術を教えてました。
●ヴィンチェンツォ・ラグーザ(彫刻家/Vincenzo Ragusa/イタリア人/1841-1927)
工部術学校で彫刻を教えてました。かれは荻原碌山(おぎはら ろくざん/1879- 1910)と関連があります。
●アントニオ・フォンタネージ(画家/イギリス人/Antonio Fontanesi 1818-1882)
工部美術学校で西洋画を教えてました。
このように明治時代に西洋ヨーロッパの美術教育がアジアではいち早く日本が取り入れた流れが見えます。そして、その伝統が今もなお美術系の学校で石膏デッサンとして受け継がれていて、私たちが描いている、と客観的にみることが大切だと思います。
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