あの「超アカデミック」な石膏デッサンを上手く描くにはどうしたら良いだろうか?「石膏デッサンまじウザイ〜!」という人はこの先は読まなくていい。しかし石膏デッサンで得ることができる美術のレア技術もたくさんあるのだ。ここではそれを熱く語っていくの興味のある方はご覧になってほしい。
美術教室の置いてある石膏像とは一応2000年前のモデルです
ちょっと「歴史」をおさらいすると、あの美術の教室棚の上にホコリまみれになって置いてある石膏の雛形は古代ギリシャ・ローマの彫刻家によって作られたものだ。つまり紀元前2000年以上も前の彫刻である。
当時は大きく分けると2つの文明圏が存在したが、一つはヘブライズム文明圏、もう一つはヘレニズム文明圏だ。多くに芸術作品というとこのヘレニズム文明圏の伝統を引き継いでいる。
では2つの文明は何が違うのだろうか?
①ヘブライズム文明(Hebraisem)とは旧約聖書に出てくるアブラハムを祖先としたユダヤ民族を起源とした文明圏だ。
要はユダヤ・キリスト教の起源となる文明圏のことで聖書に出てくる唯一神の文明だ。
これは今日の西洋文明の一つの起源となっている。
この文明圏における芸術(美術)というものは見たものをそそままの完璧なプロポーションや明暗で描く
というリアリズム思考ではない。むしろリアルな絵画はほとんど見たことがない。
それよりもっと内面的で、信仰的な描写を重要視し、一見すると「下手」に見えるのである。

この文明の根本にあるのは人間ではなく神である。
下の作品を見るとどのような美術の伝統があるのかわかると思う。
この文明圏の芸術作品はあまりネット上に出てこない。
さて今日、私たちがよく描く石膏やルネサンスの絵画の起源になっているのは
②ヘレニズム文明(Hellenism)である。
これはギリシャ・ローマの文明を起源とした文明圏だ。
この文明の根本にはギリシャ哲学があり合理的であり、理性を中心とした哲学が基盤になっている。
ギリシャ・ローマにも神々は存在するがオリンポス12神など多神教である。
またルネサンス=人本主義に見られるように神が中心というより人間が中心にして
人間の知性と合理性で真実を追求しようとする傾向がある。
(ルネサンスの画家は宗教的な絵画をたくさん描いたが)
ギリシャ・ローマの彫刻家は理想的なプロポーションをいうものを彫刻で追求しており、
あれが私たちがよく描く石膏像に現れているのである。

つまり私たちはあの美術教室で2000年前の理想美とされた像を崇めているのだ。
う〜ん2000年も経ってもっと良い彫刻家は出なかったのだろうか?
簡単にいうとこれが石膏像の歴史である。
石膏デッサンを魅力的に描くのに一番大切なこと
さて石膏デッサンを上手く?描くにはどうしたらイイだろうか?
あなたにも少し考えてみていただきたい、、、
答えは、、、
おそらく人によって違うだろう。
さて、このブログでは予備校とか美術の先生が教えてくれるような典型的なコメントを書く、
ありきたりのブログにはしたくないので少し違う観点から考えてみたいと思う。
まずは私が描いた石膏デッサンをお見せしたいと思う。
下の作品は2000年に描いた作品だ。↓

この石膏は「奴隷」という作品で本物はルーブル美術館に展示されている。
これは「奴隷」の腰から上だけ切り取って売られている石膏像でトルソーという。
木炭と木炭紙を使って描いた作品だ。
さて、、よく絵画教室では「形、明暗、立体感というものを重要視して描け!」と教えてくれる。
しかし私はそれよりも石膏にあたる「光」が綺麗で描きたいと思ってこの絵を描いた。
絵から「光」のコンセプトを感じて頂けただろうか?
やはり描く時の自分の最初の目標(何を描きたいのか?)が結局、、絵を作るのである。
つまり、、、「コンセプト」が重要ということだ。
では次の作品も見ていただきたい。↓

これは「マルス」という石膏像で「綺麗系イケメン」と言われていて女性に人気の石膏像だ。
逆に「マッスル系イケメン」と言われている「アグリッパ」と呼ばれる石膏像もあるのだが、
マルスとアグリッパどっちがタイプ?みたいな話を女性はよくするらしい(笑)


まーそれはドゥーでもイイのだが、、、
このデッサンも木炭紙に木炭を使って描いた作品だ。
このデッサンは「光」というよりも「ジムでプロテインを毎日欠かさず飲み続けて鍛え上げたようなムキムキした筋肉の立体感」と「後ろの奥行き」を意識して描いた作品だ。
作品からその「コンセプト」を感じ取っていただけるであろうか?
もう一つお見せしたい。
この絵からは「どんなコンセプト」を感じ取ることができるだろうか????↓

これは「アリアス」と呼ばれ石膏で「綺麗系パルテノン神殿」と呼ばれる女性の石膏だ。
なぜなら髪の毛がクルクルしていて神殿の柱についている模様みたいだからだ。
FF7に出てくる「エアリス」と似ているが間違えないでほしい。「アリアス」である。
はい、このデッサンで重要したのは「絵が飛び出して見えるような質感」である。
私は当時、木炭紙の紙目に木炭をかするようにのっけることで絵が飛び出して見えることに気づいてしまい、それにハマっていた。それを応用して描いたのがこの作品である。
かなり異質な石膏デッサンになっているのが感じられると思う。
つまり、結局、石膏デッサンは「コンセプト」が重要になってくる。
ただ写実の練習をするために描くことでも多くのことを悟れるが、
「コンセプト」を明確にして描くことでさらに絵として完成された作品になりひとの心を掴むのだ。
石膏デッサンはあくまでも石膏デッサンの領域を超えることはできないだろう。
しかし、アカデミックな修練とよくありふれた像をどのように絵として見せることができるだろうか?
と考えながら描くことで絵に対する「センス」を磨くいい練習になるだろう。
石膏デッサンを人生の目的にさせる日本の美大受験
石膏デッサンから学べることはたくさんある。
しかし、、、
石膏デッサンを人生の目的にしないでほしい。
なぜかというと石膏デッサンを上手く描くことを己の画家人生の最高峰にしてしまっている人がいるからだ。
え???そんな人いるの?と思うかもしれないが
いるのである。
東京芸大のデザイン科などはいまだに石膏デッサンを必須受験科目にしているし、
韓国の美大受験も過去、石膏を水彩で描くことが必須で、全ての予備校で石膏水彩ばかり描かせていた時期があった。
彼らは大学に入学するために「石膏デッサン」を嫌というほど描かなかればならない。
どれだけ大変だろうか、、。
それで、ある程度描けるようになったり、美術大学に合格して晴れて入学したりする。

その後、、、
「人生で一番上手くかいた絵はなんですか?」と聞くと
いゃぁ、、、それは「受験の時の絵です!」とか「石膏デッサンや静物デッサンです」という人がいる。
つまり人生の最高峰の作品が受験当時の石膏デッサンになったり。
それを上手く描く技術を過去の栄光としていまだに謳歌しているのだ。
なぜなら受験の時は誰もが必死に描くが、いざ大学に入ってしまうと遊び呆けて
ろくに良い絵を描かなくなる人が出てくるからである。
これはある意味日本の美術大学入学のために石膏デッサンを必須にさせた弊害である。
要は「ミイラ取りがミイラになってしまった」ということだ。
=「ミイラをとりにいく予定が、ピラミッドの中で死んで干からびてミイラになってしまった」
=「石膏を描き絵のスキルをアップする予定だったが、石膏画家になってしまった!」ということだ。
私は日本の美術教育に全く満足していない人間なので今このような記事を書いている。(笑)
でも、、、
石膏が描けるようになることでイイ面もたくさんある。
形が正確に取れるようになったり、明暗を正確に取れるようになったり、立体感を把握できるようになる。それは事実だ。
ただそれは将来自分の傑作品を描くための修練の時間だという目的は見失ってほしくない。
ではまた次回お会いしたい。
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