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バチカン美術館に行ってきました⑤│ラファエロ達の歴史画・ボルゴ火災の間とコンスタンティヌスの間とインマコラータの間

今回もパチカン美術館のラファエロの間にある絵画について説明をしていこうと思っています。

今回はコンスタンティヌスの間、ボルゴの火災の間、インマコラータの間について紹介していきます。

目次

コンスタンティヌスの間│the Hall of Constantine

コンスタンティヌスの間です。
ここに飾られている絵はラファエロが存命中に描いたのではなく、 彼の弟子が描きました。4つの間のうちこの間が一番広いらしです。

ローマ帝国のコンスタンティヌス帝の人生が描かれています。 そして異教徒に対するキリスト教の戦いとその勝利が描かれています。
一つ一つ解説していきます。


コンスタンティヌス1世(Constantinus/270-337年)
ローマ帝国の皇帝(在位306ー337年)。

3世紀ごろローマでは政治的に混乱が続いていました。ローマ各地を各皇帝が分割して統治していたのですが、それを統治して結構いい時代を作ったのが彼です。

当時ローマには様々な宗教があり、キリスト教はその一つとして迫害されていました。しかし彼はキリスト教を擁護し、彼自身もキリスト教に改宗しました。

リキニウスと一緒に313年に彼が発布した「ミラノ勅令」によってキリスト教が公認されます。 コンスタンティネスの登場を契機としてキリスト教がローマ帝国で最も大きな宗教になるきっかけを作りました。 それが地中海、ヨーロッパ全体に影響を及ぼしていきます。

コンスタンティヌス1世が建設した都市コンスタンティノープル(イスタンブール)は、後に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都になり、正教会の総本山になる。

十字架の出現
十字架の出現
十字架の出現の細部
この印によって、汝は勝つだろう

これは「十字架の出現」という作品です。
コンスタンティウスが当時の政敵のマクセンティウス(ローマの皇帝の一人/Maxentius/278ー312年)とミルヴィオ橋の戦いで戦う前夜、十字架の夢を見て夢での啓示に従って戦いに勝ったそうです。

この作品ではミルヴィオ橋に向かって進軍しているときに上空に十字架が現れた場面を描いているんですね。彼は十字架の近くにはラテン語でIn hoc signo vinces「この印によって、汝は勝つだろう」という文字を見たらしく、絵画中では絵画中ではそれがギリシャ語で「 Εν τούτω νίκα」と描かれています。

ミルヴィオ橋の戦い
ミルヴィオ橋の戦い

「ミルヴィオ橋の戦いThe Battle of Constantine – Giulio Romano」はローマ郊外のテベレー川にかかるミルヴィオ橋(Ponte Milvio)での戦いで(312年)、 コンスタンティヌスが政敵のマクセンティウスを倒した戦いです。

この勝利によって権力闘争を経て、彼は皇帝として即位します。そしてキリスト教を公認する「ミラノ勅令」出しました

フレスコ画は1517年から1524年にかけて制作されていて、ラファエロの死後、彼の工房(主に弟子のジュリオ・ロマーノ)によって描かれました。

絵はマクセンティウスの軍隊をコンスタンティヌスの軍隊が破る様子が描かれていて、天使が空に舞い降りています。 右側にはマクセンティウスがティベリス川の波に飲み込まれる姿が描かれています。そしてコンスタンティヌスは313年に自ら洗礼を受けます。

コンスタンティヌスの洗礼
コンスタンティヌスの洗礼
コンスタンティヌスの洗礼


次は、「コンスタンティヌスの洗礼The Baptism of Constantineという作品です。
コンスタンティヌスは癩病(らいびょう/ハンセン病)を患うのですが、教皇シルウェステル1世(教皇在位:314ー335) の洗礼によって治癒しました。 これに感動したコンスタンティヌスが、皇帝の全権を教皇に委譲(任せる)ことにしたということです。

絵の中でコンスタンティヌスが教皇シルウェステル1世から聖餐(パンと葡萄酒)を受け取っています。

コンスタンティヌスの間の壁画
天井画
コンスタンティヌスの間の壁画
天井画

この間の天井にはいろんなフレスコが描かれているんですが、特に印象的だったのがこの作品です。
十字架上のキリストの像の前で、おそらくローマの伝統的な神々を象徴した像なんでしょうが、。砕かれています

ジョジョの奇妙な冒険の第5部の最後に彫刻家のスタンドが出てきますが、彫刻が砕かれ、また再生する場面が登場します。あれに類似した感覚を覚えました。ある意味奇抜な構図だなぁと感じました。

ボルゴの火災の間

次に「ボルゴ火災の間」という部屋を紹介していきます。 ラファエロのパトロンのユリウス2世が1513年に亡くなり、その後の教皇を受け継いだレオ10世がラファエルにフレスコ画をまた依頼しました。 彼が食事をしていた部屋に壁画を描いてもらったのです。 その中の一つのフレスコ画のタイトルが「ボルゴの火災」で、その名にちなんで「ボルゴ火災の間」になったそうです。

この間のフレスコ画はほとんどがラファエルの工房の弟子によって描かれたそうです。
構図はラファエロが考えたそうです。 ただ彼は忙しかったので、メインで描いたのは助手のジョリオ・マーノ、ジャンフランチェスコ・ペンンによって描かれたと言われています。

ボルゴの火災
ボルゴの火災
500 cm × 670 cm

「ボルゴの火災(Incendio di Borgo)」はこの間で一番最初に描かれたそうです。教皇レオ4世に関する主題です。 このフレスコ画ではラファエロがそれでも一番関与した作品だそうですね。

847年に旧サンピエトロ大聖堂とテベレ川の間にボルゴ地域というところがあるんですが、そこで火災が起こり、教皇レオ4世の祈りによって鎮火された場面を描いています。


画面中央の奥に描かれている旧サンピエトロ大聖堂のバルコニーに、レオ4世が火を消すために十字をかざしています。画面左には火が燃えていて、古代ローマの詩人のウェルギリウスの叙事詩「アエネイス」の話が描かれていて、 焼け落ちるトロイアからアイネイアスが父のアンキセスを背負って逃げる場面が描かれています。 画面の右側には灯を消そうと水を運ぶ人たちが描かれています。画面中央には火が鎮火して教皇に喜びと感謝を示す女性がいます。

レオ3世のカール大帝への授冠
レオ3世のカール大帝への授冠
レオ3世のカール大帝への授冠
レオ3世のカール大帝への授冠

こちら「レオ3世のカール大帝への授冠The Oath of Leo III / The Coronation of Charlemagne)」は、800年のクリスマスのミサの最中にローマ教皇レオ3世(在位795ー816年)がカール大帝(シャルルマーニュにローマ皇帝の冠を授けた歴史的事件を描いた作品です。

カール大帝(742頃ー814年)
フランク国王(在位768年ー814年)、カロリング朝の初代ローマ皇帝(在位800ー814年)
ドイツとフランスの始祖的英雄。

神聖ローマ皇帝としてはカール一世(独)、フランス王国そしてはシャルル1世(仏)と呼ばれている。 英語読みではチャールズ大帝(Charles the Great)と呼ばれる。
古典ローマ、カトリック、ゲルマン文化の融合を実施した
中世以降のキリスト教のヨーロッパ王国の大祖。ヨーロッパの父とも呼ばれている。

なぜこれが歴史的出来事かというと、ヨーロッパの歴史構図を変える事件になったからです。
つまりローマ教皇がフランク国王(フランク王国=当時のフランス・ドイツ周辺を支配した国)に皇帝の冠を授けたからです



当時、西ローマ帝国は476年に滅びており、ローマ皇帝は東ローマ帝国(ビザンツ)にしかいませんでした、しかし、この授冠により西ヨーロッパにもローマ皇帝が誕生しました。これにより、皇帝は教皇によって冠を授けられてこそ正統であるという考え方が生まれます。 そして、皇帝よりも教皇が上の立場にあるという構図ができますした。つまり教会が政治に強い影響力をもつようになりました。

この時、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の首都コンスタンティノープルにはローマ皇帝がいましたが、 西にもできちゃったので、彼らから見るとそれはむかつく行為で、ローマ皇帝は一人だけだ!という主張なのです。これが最終的には東西教会分裂(1054年)へと繋がります。

ですが、カール大帝はキリスト教秩序を守る存在、教会を保護する皇帝として位置づけられ、皇帝=キリスト教世界の守護者という構図が生まれました。 中世ヨーロッパの政治と宗教の構図を決定づけます。

インマコラータの間

次に、「インマコラータの間」を紹介していきます。 インマコラータ(Sala dell’Immacolata)とは「無原罪の聖母の間」という意味です。

イエス・キリストを生んだ聖母マリアというのは、 生まれながらに原罪のない女性であったという意味です。これは、1854年に教皇ピウス9世によって宣言され、カトリックでは以後、それを教義として確定しているわけです。

この間のフレスコ画ではピウス9世による聖母像の戴冠式が描かれています。

インマコラータの間

このフレスコ画はイタリア人画家、歴史画家のフランチェスコ・ポデスティによって描かれました。彼は歴史的事実に忠実に描いたゆえ、無原罪説を支持しながらも教皇と対立がおこったそうです。


しかし、プロテスタントにおいては、 無原罪懐胎説は聖書的根拠がないということで認めていません。つまり、これは教派により捉え方が異なり結構な論争の的になっているということです。 皆さんはどのように考えるでしょうか?

私も実際に行って感じたのはすごく豪華な印象を受けました。

システィーナ礼拝堂は撮影禁止

この後、回廊がシスティーナ礼拝堂とその中の、「ミケランジの最後の審判」へ続くんですけど、礼拝堂は撮影とビデオ撮影は禁止なんですね。

ガードが沢山いて、壇上に上がっただけで注意されます。撮影したら絶対ダメなんですが、それでも撮影してるおじさんもいて、ガードにめちゃめちゃ怒られてました。 ということで、その空間は皆さんが機会ある時に直接見ていただくのがよいと思います、こんなブログのちっちゃい写真なんかとは全く違います。



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◆この記事を書いた人

Hisa Gemmaのアバター Hisa Gemma 源馬久崇ーLandscape Artistー

旅をしながら絵を描いている画家です。
「芸術は人生を豊かにする」ことを信じて活動しています。
大変な時代ですが共に頑張りましょう。

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