今日は色とは何かについて考えていきたいと思います。
色の「本質」って何でしょうか?あなたはどう思いますか???
私がずっと絵を描いてきて思うんですが、、
色とは科学の本で語るような単なる「光の波長」ではありません
科学の本では色とは光の波長(振動数)によって赤とか青だとかになるよ~と言いますよね
ただそれはこの世界の現象を光学的に研究したときにそうだよって話で、、
色が存在する目的を話してるわけではないんですよね。
つまり科学的な考察ってのは色とは何かについての高次元の考察とはならない訳です。
科学というのは「結果的な現象」を研究する分野だからです。
ですが、芸術から見る色とは何でしょうか?
芸術という分野は結果の世界を研究する分野ではありません
芸術という分野は「目的をもって」能動的に芸術作品を創造する分野です
自然そのままの色は美しいか?(自然の色に忠実であるべきか?)
あなたは良い絵を描こうと思って、見えるそのままの色を忠実に描いたり
とにかく一生懸命描けば美しい絵が描けると思いますか?
着飾ることなく見えるありのままの色が美だ!という主義を「自然主義」っていいます
絵画の分野では自然主義に属するのはバルビゾン派や写実主義の絵になります
→写実主義の記事はこちらから
色においても自然そのままの色、見えたままの色を比較的敵忠実に再現しようとします

ですが、、、自然の色は確かに綺麗ですが、、、私はこの考え方には賛成しません。
(実は私は昔、自然主義の考え方でした)
それをそのままに描いても、必ずしも人間の目に綺麗に見えるわけではないんですよね
色の組み合わせによってその色が魅力的に見えたり、なんか、、、冴えない地味な感じに見えたりもするんです。絵を本当に面白く見える魅力的な絵を描くには色を変えていく必要があるのです
私は今エクアドルという南米の国で壁画を描いてるんですが、色を決めるのに試行錯誤しています。
エクアドルの歴史的な風景を描いています。下のエスキースをみて下さい。





これは、色々な色のパターンを使って最も効果的な色の組み合わせを考えている例です。
時々、。写真を資料に使った絵を描いたりもしますよね
ですが、でも写真はありのままの色を映しているので、、、
ナチュラルな色の美しさはありますが、、印象的で「絵に描いたようだ」というような色の組み合わせというものは稀です。写真は、アーティストが撮った写真以外は、芸術作品というより記録伝達の役割が大きいので色がパッとしない場合が多いんですね
なので、、、
自然の色をそのまま描くというのは芸術の本質ではないかもしれません
色には目的があり、目的により変わる(相対的である)
色の面白い部分は、これが絶対だ!という色の組み合わせはなくて、色の選択によって人に何を感じさせるのかっていうのが変わってくるというところです。いってみれば人間の個性みたいなものですね。
あるひとはワイルドでシブく、ある人は柔らかくて、優しい感じ、、とかですね。
例えば下の2つの色を比べると、、、


私は最終的に左のレトロな感じを壁画の色として選びました。何故ならレトロな感じにしたかったからです。かといって右の色のパターンがダメなわけではありません。右も鮮やかで若々しい感じがして好きな人は好きでしょう。ちなみに左の図案はレトロだけでなく少し鮮やかな感じも出したかったので、下地に右の空の青さを敷いて、その色が雲の合間から少し見えるような感じにしています。(レトロ+少し鮮やか)これは現実にはなく、絵画でしかできない色彩の効果です。絵画(芸術)が面白いのは、現実以上に現実を効果的に見せることができるところにあると思います。
つまり、、、色というのは「どう表現したいか」により変えることができるのです。
色っていうのは相対的であって絶対的ではないということです。
ある人がどういう目的でどんな作品絵を描くのかっていうところに付随していくサポート役みたいなものですね。ここにおいて重要なことは、、、色が先にあるのでなく絵の目的が先にあるということになります。私が思うのはこの世界は何かしらの目的が先にありきで、存在しているのです。
つまり先の科学的に考えた時の色というのは光の波長である、、、というのは表面的な考え方ではないかということです。
色彩は偶然に結果的に生じたものではない
今いるエクアドルにはガラパゴス諸島という島があるんです。
ここはエクアドルの領土で毎年旅行客がたくさん訪問する場所です。ここはご存じの通りチャールズ・ダーウィンの進化論のもとになった場所です。

進化論というとサルは環境に適応して人間になったという説ですね。つまり、、、人間が生まれたのは目的があって人間として生まれたのでなく、環境に適応して結果的に人間になったという説です。
この考え方は色っていうのは単なる光の波長に違いであって、色がそもそも目的をもって存在しているわけではないんですよーということとと同じ考え方になります。
ですが、この進化論的な考え方には矛盾があります。もし環境によって人間の進化のスタイルが変わるのであれば、国や地域、人種によって色の感じ方は異なってくるはずです。何故ならそこには共通の存在目的や感情というものは存在しないからです。ですが、、、私が色々な国を旅して色々な国の人と話たり絵を見せると、みんなその絵からは共通の感情を感じていたという事実です。色によってレトロな印象や爽やかな印象、、憂鬱な印象をうけますが、、、それは国を越えて伝わるということです。それは言葉を越えてです。
ここから考察できるのは色は変化しますが、その色の組み合わせによって伝わる目的や感情があるといううことです。つまり色には目的が先に存在しているということなんですね。この仮説が成り立たないとしましょう、、そうすると色彩検定試験何級ビジネスなんてものは成り立たなくなってしまうのです(笑)
以前オンライン絵画教室の授業でゴッホ風の肖像画を描く授業があったのですが、その時参考作品としてかいた作品の色の組み合わせが憂鬱な感じがしたんですが、受講生の方もなんか憂鬱な感じがしますねといっていました。
つまり色というのはそれを見て感じることが出来る人間や他の生き物がいるのを知ってあらかじめ存在していたと考えられます。人間が外の世界で色をどのように認識してどのような感情を考えるのかっていうのをあらかじめ把握した上で存在してのではという話です
目もそうですね。ダーウィンの進化論的な見方から言う人間の目の存在意義っていうのは生まれる前に決まっているわけではありません。ですが目を予め外の世界に光があったり美しいものや危険なものや崇高なものがあるのをしって、それを感知できるように設計されて生まれてきています。
色の存在意義と芸術の意義
長くなりましたが、色が存在する目的とはあらためて何でしょうか?
動物・昆虫も人間ほどではないですが色を感じることができると言われています。
あるときは危険を察知したり、魅力をアピールするためです。
ここにも色には目的があるのがうかがえます。人間の場合はさらに複雑な感情を色から感じることが出来ますよね。
例えば色のない世界を考えて見て下さい、とても味のない世界ですよね。
音のない世界っていうのも非常につまらない世界ですよね。
色や音が有るので様々な感情を感じることができます。
まさに、、、、それが色が存在する目的だと私は思います。

「芸術作品」というのは進化論のように、偶然に環境に適応して作品が出来るのでなく、目的先にありきです。どのようなことを伝えたいという目的ですね。
つまり絵画で色を使うのは目的が先にあるのです。ですので芸術とは、、、、より人間らしい分野、
色が存在するようにこの世界の存在意義に迫ることができる分野だと思います。
ということで今日は色とは何かについて考えていきました。
皆さんのまた個別の意見とか独自の考え方とかあればまたコメント欄にて教えてください
●よければコメントください