今日は。今日は「色」について考えていきたいと思います。
色は紅葉のように日常に面白みを与えてくれますよね。
ところであなたは「色」とは何だと思いますか?
「形」とは何が違うのでしょうか?
今日のポイントは「色」と「形」とは別次元に存在しているのか?そしてお互いは相互作用できるのか?お互いを分けて考えるべきなのか?ということについて考察していきます。
これは発展させて考えると心と体は別次元に存在しているのか?という話に繋がっていきます。
美術では色とは、油彩・水彩・アクリルなどでは使い、デッサンでは使われません。
デッサンは基本は白黒の無色の世界として考えられますよね。
ですが白黒も詳しくには無色を表現する光の波長として=「色」として考えられます
色と形の派閥/次元を分けて考える人間の心理
さて「形」に対して「色」とは何でしょうか?
これらは分けて考えられるべきなのでしょうか?というのは別次元に存在している2者であるならば
分けて考えられるべきだからです。また美術教育ではこれらを分けて学ぶ場合が多いです。
今日は「色」を学びましょう、今日は「形」をとる練習をしましょうなんてですね、、、
美術史ではキュビスムでは形を重要視して、フォービスでは色を重要視した!なんて美術ではいいますよね。または私は「色」が得意だ!私は「形」が得意だ!と言ってお互いを疎遠してしまう傾向が人間の心理としてあります。
一元論か二元論か/唯心論と唯物論どちらが正しい?
結論から言うと、私は色と形は実は同じ次元に存在している性質であり、物の存在を表す2つの側面であると思います。なんだ、そんなこと考えたことあるよ!と思うかもしれませんが、ここで書くのはもっと深い話です。
どう言うことかというと相反する(対照的な)性質のものは異なる次元に存在しているのか?という話です。つまり一元論か二元論かという話ですね。
例えば唯心論と唯物論は異なる次元の話をしています。精神が世界の本質か?物質が世界の本質か?という論争において哲学者はどちらか一方を選択しています。つまり両立させるには二元論になってしまう訳です。では精神と肉体は異なる次元に存在しているのでしょうか?
ここで異なる次元に存在しているものは相互作用ができません。相反する性質(心・体/色と形など)ものが異なる次元をとり、2元論になると、違う次元の存在であるので相互作用をすることができません。つまり心と体が相互作用をするには各々が同じ次元に存在していなければなりません。唯心論と唯物論かどちらか一方の立場を取るならば、心と体は相互作用をすることができないので心が唯一か、物質が唯一か哲学者もどちらか一つを選択しないといけなくなる訳です。またこれらは全く異なる性質のように見えるので異なる次元のものとして考えてしまう心理は理解できます。そして次元を異にして考えるならば自ずと疎遠関係になってしまうのです。
色と形もあまりに性質が違うため(視覚的にどちらも見えるので、精神と肉体ほどではない)異なる次元のものとして考えてしまい、結果お互いを疎遠させて二元論な派閥が生じます。
一元論のみで異なる性質が相互作用できる
逆にこれらを一元論的に考えると、色と形は同じ根源から発生し同じ次元に存在し、一つの物の側面を表す2つの性質になります。一元論であるには同じ原因から発生しないといけません。この考え方で言うと色と形は同じ根源的な要素を含みながら、視覚的に見た時のある性質の割合の比率で説明することができます。つまり「形」とは視覚的にみたある物体の3次元空間での点・線・面から構成させる、パースペクティブを説明する性質がより多く内包されている性質であり、色とは視覚的に見たある物体から反射する光の波長の性質をより多く内包した性質のことである。
そして一元論的に考えることでのみ、2つの相反する性質が相互作用をすることが可能になります。
つまり絵画の中で色と形が調和することが可能ということです。相反する性質のものが相互作用をするとはつまり、一元論でのみ可能な訳です。色と形は同じ次元に存在する友人のようなものなのです
こう考えると、色を研究する、形を研究するとはあるモチーフの存在の本質を研究する2つの手段であります。
さらに考察する精神と肉体も異なる次元に存在していると考えがちですが、精神と肉体は影響を及ぼしあっていることから両者、同じ原因から発生した一元論の世界で存在していると考えざるを得ません。
色と形が相互作用をするための共通の要素とは?
相反する性質が相互作用をするとき必ず何かしら共通の性質を持っていないといけませんが、それは何でしょうか?
形と色は同時に存在します。
①つまり形が存在している時点で、その物体にあたる光の反射がどれくらいか、どれくらいの波長の光を吸収し反射するのかと言うことがすでに決定されています。絵画でいうとある面積を絵の具で塗ると、その面積(形)は光をどれくらい吸収し反射するのか同時に決定されます。
②また、色が存在するとはその色を発生せしめる物体が同時に存在することになります。
絵画でいうと色が存在するには色をどのくらいの面積で塗るかと言うことが必然的に必要になってきます。色を塗った時点で面積(形)が生じるのです。あなたは形のない色とは考えることはできるでしょうか?
これが色と形が同時に存在する具体的な理由です。そしてお互いは相互作用していることが解ります。
こう考えると色が大切なのか形が大切なのか、絵画でどちらを優先するか?
というような派みたいなものは本質的ではなくなります。どちらも相互分解不可分であり、作用し合っているからです。ですがどんな目的を思考するかでは優勢順位が出てきそうです。例えばマーク・ロスコの絵画は色を優先させたのでしょうか?形を優先させたのでしょうか?
同じように精神と肉体で考えてみます。これはさらに深い考察になりそうですが、、、
心(精神)が存在しているとはその精神を表す形(体)が同時に存在していると考えることができます。
気分が悪い人のしかめった人の顔の皺はその人が気分が悪いことを物語っています。背骨が曲がって下を向いている人を見たら、その人が落ち込んでいるのが解ります。スキップで上を向いて歩いている人を見たらその人が気分がいいのが解ります。
形と色はどちらがより本質的か?
ですが色と形どちらより本質か?といえばどうでしょうか?
精神と肉体どちらが本質かといえばおそらく多くの方は精神だというかもしれません。心の目的や意向に従って体を動かすからです。行きたくない場所は誰も行かないようなものです。心や魂がなくなれば、人の形をしていても、もはやそれは科学技術が進んで開発された人型ロボットになるでしょう。
美術では形があって色が存在するという人が多いでしょう。つまり形が本質だと私は考えます。何故かというと、形がないとなんだかわからないからです。例えばマチスの絵は色を白黒にしても、マチスの絵だと解ります。印象派の色の綺麗なモネの睡蓮も色を白黒にしてもモネの睡蓮の絵と解るからです。
ですが形が崩れたり変形すればいくらマーク・ロスコの作品でも、ロスコの作品だとわからないでしょう。これはとても面白い観点だと思います。形が何かの目的を志向しているからでしょうか?
画家の意図(目的)ー形ー色
ここでポイントはいくら「同時に存在するような性質でも、よりなくてはならない本質が存在する」ということです。あなたはどのように考えますか?
これは深い議論が起こりそうですね。次回またお会いしましょう。
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